お 菊 井戸

Add: qirub57 - Date: 2020-12-15 09:42:12 - Views: 795 - Clicks: 811

現在二の丸にあるお菊井戸は、近代に入ってから命名されたもので、本来「播州皿屋敷」の舞台となったのは、現在の姫路東消防署と兵庫県立姫路東高等学校の敷地の一部、桐の馬場にあった武家屋敷と言われています。 そして青山鉄山からひどい暴力を受けたお菊さんは、姫路城車門近くに合った梅雨松で、縛られたとも伝わっており、見た目に縛られているお菊さんのように見えるといって、現在でもジャコウアゲハを別名お菊虫とも言われています。 (関連記事)姫路市の「市蝶」ジャコウアゲハはお菊さん?. 姫路城周辺の宿泊施設の口コミはこちら【楽天たびノート】 姫路城の石垣について記事を書きました。こちらもぜひご覧ください! 姫路城の石垣でハートを探せ! 石棺や石臼、変わった石がいっぱい 姫路城に行く前は、白いきれいなお城というイメージしかなかったのですが、ここは守りの硬い要塞のような城なんですね。 私は、歴女でもなければお城マニアでもないのですが、大天守へ向かう曲がりくねった細い道を行くうちに、なんだかお城攻めをしている兵士のような気分になりました。 今回は時間が限られていたので、ざっと見て回った程度ですが、興味深い面白いお城です。 ぜひもう一度行ってみたいお城となりました! 皆さんも兵士になった気分(百間廊下は侍女になった気分)で楽しんでくださいね。. 」と皿を数える女の幽霊が出たと言われています。 今日はこのお菊井戸にまつわる伝説「播州皿屋敷」についてのお話です。. 姫路城の城内の上山里丸と呼ばれる広場にある「お菊井戸」が、有名な怪談「播州皿屋敷」に出てくる井戸だと言われています。 「浄瑠璃・播州皿屋敷」「播州皿屋敷実録」などあり、内容が多少異なりますが、青山鉄山の企みに巻き込まれたお菊が、理不尽にも命を奪われて井戸に投げ込まれます。それから毎夜、井戸から「1枚、2枚. 姫路城内には、籠城に備えて、たくさんの井戸があります。その中の一つで、二の丸に現在もある古井戸は、「お菊井戸」と呼ばれています。 その昔、このお菊井戸からは、「一枚、二枚、三枚.

現在、お菊が身を投げたと伝えられる井戸が、お菊を祀った「お菊大明神」と共に地元に残っています。また、「お菊大明神」にお参りすると、腰から下の病気が治ると言われています。 お菊のお墓と言われる台石も上臼井の永泉寺に残っています。. <10:30 大手門到着> 大手門を入ると目の前に三の丸が広がります。 ここは正面に姫路城が見え、大きな石の銘板もあって絶好の撮影スポットです。 ここを右に行くと姫路市立動物園、姫路城の入口は左側で三の丸の広場に沿って進みます。 <10:45 入城口> お 菊 井戸 大手門から入城口まで、5分くらいかかります。 撮影だの何だのしていると、10分15分はあっという間ですね。 <11:00 チケット購入〜菱の門> チケット売り場付近に待ち時間の表示看板があり、この時点では0分でした。 二の丸の入口を固めている菱の門。 お城のスケールに比べて小さく感じますが、これが城内で最も大きい門なんですよ。 いろんな門が出てきますが、門も姫路城の特徴の一つとなっています。 菱の門をくぐった右手にトイレがあります。 このルートはこの先、天守閣を出るまでトイレがありません。 心配な方はこちらでお済ませくださいね。 <11:03 いの門> 姫路城の門には「いろは」の名前が付けられています。 いの門、普通のお屋敷の門かと思うほどこじんまりしています。 <11:05 ろの門> こちらもこじんまり。 実はこの先には迷路のような細い折れ曲がった通路が続いています。 侵入してきた敵を狭い通路に追い込み、戦いやすくする工夫だそうです。 いの門やろの門が攻略しやすそうに見えるのは、わざとこちらに誘い込む作戦なのかもしれませんね。 <11:06 狭間・はの門> 狭い通路の右の壁に空いている、三角や四角の穴は狭間。 この穴から鉄砲や弓で敵を攻撃するんですね。 通路の先に見える門がはの門です。 さらに小さくなりました。 真正面ではなく、曲がったところに開いているところが攻めにくくするための工夫なんでしょうか。 この後もこんな感じで、曲がりくねった細い通路に小さな門が続きます。 外と隔絶された世界で、観光客が少なければ歴史の世界に浸れそうな空間です。 <11:10 水一門> 姫路城の石垣で最も有名な「姥ヶ石」がありました。 左上の金網で囲まれている部分です。 <11:11 水二門> 今まで順調に進んできましたが、この門のあたりで渋滞が発生してしまいました。 ここで待っている間ふと上を見上げると、石垣のすぐ上の壁に黒い隙間のようなものが見えました。 姫路城には、城の中から下の敵に向かって石を落として攻撃するための「石落と. 有名な文学作品「お夏清十郎」は、播姫路で実際に起きた駆落ち事件が元になっています。 室津の造り酒屋で何不自由なく育った清十郎は、訳あって、19歳の時に姫路本町の米問屋但馬屋に奉公に出ます。そしてそこの娘であるお夏と恋に落ちます。許される恋ではなかった2人は駆け落ちしますが、すぐに捕えられてしまいます。清十郎は盗みの濡れ衣を着せられ、25歳の若さで打ち首となり、その悲しみのあまり発狂したお夏は、清十郎の姿を求めて町をさまよい歩くのでした. 落語の皿屋敷は怪談というより、パロディ要素の高い滑稽噺である。また、お菊の登場の仕方も今風になったりと、演者の幅が広い。上方では播州、江戸では番町となっている。 ある男が旅先で恥を掻いたという。それは船の中で移動している最中、定番のご当地話となったとき、自分の生まれをきいて「皿屋敷」のことを聞かれたが、皆目知らず田舎者扱いされたのだ。しかし、地元の仲間連中も誰も知らず、それならば生き字引の旦那に訊ねることにした。旦那は、古屋敷跡に皿屋敷の怪談が伝わっていることを教えると、男たちは怖い物みたさにその皿屋敷を訪ねることにする。 そして、実際皿屋敷を訪ねて幽霊に出くわす。しかし、9枚という言葉を聞く前に戻れば大丈夫だというので、8枚目が呼ばれた時点で、一目散に逃げ込んだ。これが噂話となって、いつしか皿屋敷は名所となり、毎晩野次馬が訪れるようになった。 するとお菊もそれに味を占めて太夫気取りの何とも艶やかな登場をしたりする。周りには屋台が並び、押すな押すなの大盛況。そんな噂を聞くや、それならばと男たちはもう一度皿屋敷を訪ねる。そして、いつものように「いちまーい、にまーい. どちらも お菊さん、10枚のお皿 井戸 という共通点があるようです。 お話も皆さまがご存じのお話です。 この話を娘にしますと 「何それ?知らない」って. 」と皿を数える悲しげなお菊の声が聞こてくるようになります。お菊は「於菊大明神」として十二所神社の境内にあるお菊神社に祭られています。.

See full list on kumanezumi. 人間を嫌い、姫路城の天守に隠れ住んで、年に1度だけ城主と会い、城の運命を告げていたという女性の妖怪です。住処に人間が立ち入ると、1丈(約3m)もの背丈に巨大化して追い払ったといいます。長壁姫の正体は諸説あり、老いたキツネという説、井上内親王が義理の息子である他部親王との間に産んだ不義の子説、伏見天皇が寵愛した女房の霊説、姫路城のある姫山の神という説もあります。―wikipediaより 既述の宮本武蔵の伝説でも刑部明神が美しい姫として現れますので、関連性をうかがわせます。. 」と悲しげな声でお皿を数え、九枚目まで数えると、よよと泣き崩れる女の幽霊が現れるようになりました。 毎夜このお菊の幽霊に悩まされた青山鉄山や、その家臣たちは、屋敷を逃げ出しますが、やがて皆滅んでしまいました。 姫路城に無事もどった小寺則職は、お菊の死を悼み、その霊を「菊の宮」として十二所神社にお菊神社として祀りました。. この井戸は、 播州皿屋敷で知られるお菊さんゆかりの井戸 でよく知られた怪談話が残されています。 約450年前の室町時代中期、姫路城執権の青山鉄山(てつざん)は、城を乗っ取ろうと、城主を増位山の花見の宴で毒殺しようと企てていました。. 古典落語 お菊の皿 『一枚・・・二枚・・・』 日本三大怪談の一つとも言われる「播州皿屋敷」のお菊さんの名シーンですね。 家宝である十枚の皿の中の一枚が無くなった濡れ衣を着せられ、庭の松に吊るし上げられ井戸に放り込まれて殺されてしまうお菊。. 「いちま~い、にま~い、さんま~い・・・」と井戸の中から女性の声がする・・・そんな怪談を聞いたことがありますか?お菊さんと言われる、有名な怪談話の一つです。 そして、実はこの井戸、姫路城の城内に今でも. 昔からお城には秘密の抜け穴があるという伝説がつきものです。姫路城も例外ではなく、有力候補であったお菊井戸や、姫山北部の姫山原生林、その他も含めて何度も調査されたようですが、結果、発見されていません。 しかし、濠の中に水面下に隠された堤があり、この堤の上をたどれば歩いて濠を渡ることが可能であったり、一見、菱の門からまっすぐ「いの門」「ろの門」「はの門」の順に進むのが天守との近道のようですが、実は菱の門から三国濠の脇を右手に進んで石垣の中に隠された穴門である「るの門」から進むほうが近かったり、このような非常の場合の間道としての工夫は随所に見られます。.

以来、井戸からは夜な夜なお菊の皿を数える声が聞こえたという。 後に威勢を返した小寺一党は青山鉄山を討ち、則職によってお菊は「於菊大明神」として十二所神社に祀られた。. See full list on shiritai. 今回行った大天守直行ルートは、いろはの門の順に大天守まで向かい、二の丸をぐるっと回って帰って来るルートです。 大手門から入って大手門へ戻ってくるまで2時間弱でした。 途中10分程度の渋滞と、天守閣の中でも少々の渋滞。 人が多いこともあって歩くのもゆっくり、写真もいっぱい撮りましたよ。 今回は時間がなくて行けなかったのですが、西の丸には百間廊下という300mも続く長い長い廊下があります。 ちょっとわかりにくいですが、左端につながっている塀のような部分が百間廊下です。 守りの硬い城郭の役割も果たしていたようです。 折れ曲がった廊下の中には急な階段もたくさんあって、歩くのが結構きついらしいです。 侍女たちが暮らしていたところもあるそうですが、着物で上り下り大変だったでしょうね。 お 菊 井戸 資料などの展示もたくさんあって、ゆっくり見て回ると1時間くらいはかかりそうです。. 【おきくいど】姫路城内の上山里(かみのやまさと)と呼ばれる広場にあるのがお菊井戸である。その名の通り『播州皿屋敷』の伝承地となっている。江戸期に作られたとされる『播州皿屋敷実録』では、播州の怪談話は次のように語られる。永正元年(1504年)姫路城主の小寺豊職が亡くなり. ここにお菊の井戸があります。 お皿を割った罪(濡れ衣)を着せられて. 千葉県市原市潤井戸 1307−20 tel:営業時間/11:00~21:30(LO20:30) 定 休 日/不定休【年間休業予定】 八幡屋の鰻は『大井川共水うなぎ』と『うなぎ坂東太郎』という二大ブランド鰻専門店です。.

そして段々とお菊の噂が広まり皿屋敷の古井戸は毎晩のように人だかりができるようになっていたんだ。 ぐっさん そしてある日、お菊が「6枚」と数えたところで逃げ出そうとしたんだけど、あまりにも見物人が多すぎて遂に逃げ出すことに失敗してしまう。. 퍑 A P H i Ђ߂ j i ł j ߂Ă ̂ Ƃł B ̏d b Ő R i ܁j Ɋفi ₩ j ܂ R S R i ܂Ă j Ƃ l ܂ B. See full list on dic. 菊乃井 本店/菊の井 (東山/懐石・会席料理)の店舗情報は食べログでチェック!大正元年創業。和食の真髄を世界へ発信する老舗料亭「菊乃井」で、一期一会のもてなしに出合う。. お 菊 井戸 <11:50 城外脱出〜本丸(備前丸)広場> 大天守を出て水四門まで戻ったら、お城の前の広場に出ます。 狭い通路と暗い天守閣の中にいたので、すごい開放感です。 天守閣の中が蒸し暑かったので、外の空気が気持ち良かったです。 ここにトイレがあります。 真正面から見た姫路城大天守。 人間と比べるとその大きさがよくわかりますね。 写真で見るより白くないなあというのが第一印象でした。 天気が悪かったからでしょうか。 「平成の修理」から1年くらいですが、ちょっと汚れて落ち着いてきているようです。 私は今が一番綺麗なんじゃないかと思いました。 <11:55 備前門・井郭櫓(いのくるわやぐら)> 天守閣に向かって右の、備前門から本丸を出ます。 出てすぐの建物の中に井戸がありました。 姫路城の石垣は石の大きさが不揃いで、隙間にちっちゃい石がいっぱい詰まっているという印象です。 大きな四角の石がいくつか見られるのですが、これは古墳の石棺を転用したものだそうです。 築城のために近辺の古墳がいくつも破壊されたらしいということですが、えっ?って感じですよね。 <12:00 二の丸・お菊井戸> そのまま道なりに進むと開けた場所に出ました。 石の柵で囲まれた井戸が見えます。 これがお菊井戸。 お菊さんの怪談は「番町皿屋敷」が有名ですが、こちらは「播州皿屋敷」。 「播州皿屋敷」のお話を原型として、芝居に仕立てたのが「番町皿屋敷」だそうです。 みなさん、「なんか出てきたらどうする?」と言いながら覗き込んだり、写真を撮ったりしていました。 井戸の中にはなぜか小銭がいっぱい投げ込まれていましたよ。 入城時に貰ったマップで見るとここになります(クリックで拡大)。 お 菊 井戸 すぐそばで歴代のシャチホコの展示。 左から、明治、昭和、平成です。 <12:05 再びいの門> 道なりに戻ってくると右にろの門、左にいの門があるところに出ます。 緑がきれいです。 右手に柵がありますが、混雑時には「いの門」を入って、一旦ここに並んでから「ろの門」に入るらしいです。 いの門をでて菱の門を通り、土産店でぶらぶらして大手門に戻りました。 <12:20 大手門>.

番町にしろ、播州にしろ、ここで述べたのとは違う展開、結末になるバージョンがあるが、その差異は大きくない。また、いずれも実在人物とのからみこそあるが、歴史的な矛盾点も多々あり※原形となったなんらかの話があったにせよ、もとの話から伝言ゲームなどによって大きく歪められ、現在知られる形になったようだ。 皿屋敷の怪談は、非常に庶民に好まれたらしく、似たような話が岩手県や鹿児島県にも存在するという。江戸時代には浄瑠璃、歌舞伎の題材にもなり、のちにはさらに戯曲、落語化まで果たしている。皿屋敷は、顔面変形が最大の見せ場である四谷怪談のお岩に比べると、「一枚、二枚. お菊は、江戸隅田川に近い下町の、貧しい裏長屋で生まれた。父は彼女が赤子の時に死んだため、母はお菊を育てるために針子や料理屋で懸命に働き続けたという。 物心がつきはじめたお菊は、近所の友達が父親に連れられて浅草の観音参りや、深川八幡の縁日へ行くのをうらやましく思うようになった。なぜ自分の父は死んだのだろう、その理由を聞くと母親は決まって辛い顔になり 「おっとうは運が悪くて、流行り病で死んでしまったのよ。だからもう、おっとうのことを話すのはおよし」 と涙を流すので、そのうち彼女は父について聞くのをやめてしまった。 そんな母は、お菊が16になったころ、風邪をこじらせて手当の甲斐なく死んでしまう。天涯孤独の身の上となり、嘆き悲しむお菊。しかし彼女は貧しいながらも色白で美しく、いくつかの大店からすぐに奉公の話が舞い込んできた。相談する相手もおらず、迷う彼女の前にひとりの桂庵(口入れ屋)が現れ、彼女に別の働き口の話を持ち込んだ。 「このたびのご不幸、心中お察しいたします。ところでお前様もこれからどこかへ働きに行かれるのでしょう? ならば他でもありません。わたしのところに偉い旗本様より、女中を雇いたいという話がちょうど来ております。旗本様ならば立場は安泰、仕事も楽だし、支払いもいい。お金を貯めて、おっかさんの墓を建ててあげるのが、なによりの親孝行になるでしょう」 親孝行、という言葉にお菊の心は決まり、桂庵に連れられてその旗本屋敷のある番町へと向かった。 桂庵に女中の口入れを頼んだのは、青山播磨守主膳。禄高二千石、もと火付盗賊改めという、旗本の中でも高い身分の人物だった。泥棒の多かった江戸時代、火付盗賊改は町奉行に次ぐ大役であるいっぽう、下手人捕縛後の取り調べが厳しく、中には無実の罪で殺される例もあり、恐れる江戸庶民は多かった。 そういった事情に加え、貧乏暮らしだったお菊は青山家の大きな屋敷に当初は戸惑っていた。たしかに主膳は気難しかったが、奥方は優しく、年若く素直なお菊をとても可愛がった。面白くないのは古参の女中たちで、特に骨の折れる仕事をお菊に押し付けた。 青山家で奉公をはじめて一年、17歳になったお菊はさらに美しくなり、懸命に働く彼女をいつしか気に入った主膳も何かにつけ「お菊」「お菊」と申しつけるほどになった。これによって古参女中たちのイジメも悪化し、あることないことを. 激怒した主膳は、皿一枚の代わりにと菊の中指を切り落とし、一室に監禁することで手打ちとした。 しかし菊は監禁部屋から抜け出し、裏の古井戸に身を投げてしまう。. この井戸は、播州皿屋敷で知られるお菊さんゆかりの井戸でよく知られた怪談話が残されています。 約450年前の室町時代中期、 姫路城執権の 青山鉄山 (てつざん)は、城を乗っ取ろうと、城主を増位山の花見の宴で毒殺しようと企てていました。. 『皿屋敷』のお菊の霊が井戸の中から陰火となって現れ、皿を数える声が聞こえてくる様子を描いたもの 。 戯曲『番町皿屋敷』 岡本綺堂による1916年(大正5年)作の戯曲。怪談ではなく悲恋物語の形を取る。. See full list on himeji.

おそらくは、番町皿屋敷の原型であると思われる播州(現在の兵庫県南西部)の皿屋敷についても、軽く話をなぞっておく。 永正年間のころ、姫路城城主・小寺則職の家臣、青山鉄山は主家乗っ取りを企んでいた。これを察知した衣笠元信という忠臣が、妻(妾説あり)お菊を女中として青山家に潜り込ませ様子を探らせた。 これによって衣笠は、城を奪われながらも主君の救出に成功。いっぽう青山は計画が失敗したのは間者(スパイ)がいたためと睨み、部下の町坪弾四朗に調査を命じる。ほどなく間者はお菊だとつきとめたが、彼女に惚れていた町坪は、自分の妻になれば黙っていてやろう、と取引を持ちかける。これを拒否されると町坪は逆上し、10枚ひとそろいの家宝の皿を、一枚割っておいてお菊に因縁をつけ、責め殺したあげく古井戸へ捨ててしまう。 その後、井戸からお菊の霊が現れ、恨み言をいうようになると、しだいに町坪や青山らは発狂。このスキをついて衣笠らは城を奪い返した。お菊の話を聞いた則職は彼女を哀れみ、十二所神社の中に「お菊大明神」として祀ったといわれる。. この井戸は「播州皿屋敷(ばんしゅうさらやしき)」のヒロインお菊が責め殺されて投げ込まれたといわれる井戸です。 目次 1 青山鉄山(てつざん)は姫路城を乗っ取る計画を立てます。. 落語 お菊の皿(皿屋敷)のあらすじ 長屋の若い衆がご隠居の元をおとずれる。なんでも肝試しのために怖いものを探しているそうだ。それならとご隠居はお菊の出るという井戸を教えてやるが. 別名「白鷺城」と呼ばれる由来には諸説あり、黒壁で烏城(うじょう)と呼ばれる岡山城に対してという説、白漆喰で塗られた城壁の美しさからという説、この地域にゴイサギなどの白鷺と称される鳥が多く住んでいたからという説、姫路城天守が鷺山(姫山は桜が多く咲いたことから「桜木山」と呼ばれ、転じて「鷺山(さぎやま)」)に置かれていることからという説、姫路城が白鷺の飛ぶ姿に見えるためという説などがあります。 平成の大修理を終え、真っ白に輝く姫路城は、まさに「白鷺城」ではないでしょうか。. 井戸に投げ込まれたお菊さん。 井戸からはお菊さんの声が聞こえたといいます。 (後に大明神として祀られたそうです) お菊の井戸の由来. 」と声が聞こえてくる。 7枚目ぐらいで、連中たちはそれ逃げろ!と走り出すが何せ押しくらまんじゅうとなって一向に進まない。そんなうちに「9まーい.

「番町皿屋敷」とは江戸時代、お菊という女の幽霊が井戸から現れ、皿を数えて怨念を訴えるという怪談である。 日本の怪談のなかでは、四谷怪談、耳無し芳一などと並びもっとも知名度のある話だが、いかなる逸話をもとに発祥した話なのかは諸説ありはっきりしない。ただし、同様の話である「播州皿屋敷」が永正年間(1504~1520年)を舞台にしていることを考えると、江戸時代を舞台にした番町皿屋敷はその変化形であろう。 このことから「皿屋敷怪談の発祥は播州という声」もあるが、「播州ではない」という意見もまた多い。 「皿を数える怪談」、ということは知っていても、いかなる経緯でお菊がそのような怨霊となったのかは、意外と知らない方も多いと思われるので、ここではその話をやや簡潔にして記載する。. 「姫路」の名は「播磨国風土記」に出てくる「姫山」(姫路城がある場所)の古名「日女道丘(ひめじおか)」が由来です。 播磨国風土記の説話では、大汝命(おおなむちのみこと)が、その子である火明命(ほあかりのみこと)があまりに乱暴者であることを憂い、海に捨ててしまおうと考えます。そして因達神山に火明命を置き去りにして船を出しますが、それに気づいた火明命が激怒して風波を立たせ、船を転覆させてしまうのです。転覆した船や積み荷などが流れ着いた場所に、それぞれに因んだ14丘の名が付けられ、その1つ、蚕子(ひめこ:蚕(かいこ))の流れ着いたところが「日女道丘」と付けられました。 それが現在姫路城のある「姫山」であるとされています(「蚕子」は古語で「ひめじ」と読みました)。 地名としての「姫路」という呼び方は、江戸時代初期、池田輝政が姫路城を築いて城下町を整備した当時の文献に見られるそうです。. そのお菊が投げ込まれた井戸が実は姫路城二の丸に残るお菊井戸だということです。 その後、お菊の祟りにより、主家には様々な災いが起こり、ついには衰亡していったといわれています。. 犯人は彼女たちで、お菊を陥れるために皿を一枚砕いて庭の古井戸に捨てておいたのだ。 彼女らの策略など露知らぬお菊が、おそるおそる主膳の前に土下座して、皿が足りないことを報告すると、先ほどまで満悦していた主膳の顔が、みるみる怒りに染まっ. 」という一種の決め台詞が真似しやすく、またツッコミ所にもなるおかしみがある。そのあたりが人気の理由かもしれない。 ※了誉上人は1420年(応永27年)没。仮にこれが江戸期以前の話だとしても、火付盗賊改という役職は江戸期以降なので、どのみち矛盾が生じる。播州皿屋敷にしても、登場人物の没年や役職に史実と矛盾があると言われる。. なお、お菊さんが投げ込まれたのは普段使いの井戸ではなく、あまり人が近寄らない古井戸か枯れ井戸だったのではと推察されます。 今でもお化け屋敷に井戸は付き物だし貞子さんも井戸から出てくるのだから、やはり井戸と幽霊は切っても切れない深い. 朝の肌寒さから一転、お昼には眩しい陽射しの秋晴れです。11月は菊まつりの時期。市原市 潤井戸の鰻の名店 八幡屋 の広場では 菊祭り の準備が進んでいます。.

その美しさから「白鷺」と称された『姫路城』。すでに訪れた方も多いと思います。ついつい壮麗な天守に見とれてしまいがちですが、実は姫路城には、江戸時代の庶民を震え上がらせた「播州皿屋敷」のモデルとなったお菊井戸や、六階建ての高層天守を支える石垣に秘められた「姥が石」の. お菊井戸の観光情報 営業期間:開園時間:9:00~17:00 お 菊 井戸 入城は16:00まで、交通アクセス:(1)姫路駅より徒歩17分。お菊井戸周辺情報も充実しています。兵庫の観光情報ならじゃらんnet 播州皿屋敷で有名な井戸。. お菊を責め殺して古井戸に死体を捨てたと有りますが、おっしゃるとおり城の井戸に死体を捨てるとは考えられません。 太平の江戸時代ならまだしも判りませんが、播州皿屋敷の話は戦国時代で現在の姫路城が建つ前の姫路城(小寺氏時代)です。. 。この物語は、井原西鶴、近松門左衛門の小説や戯曲などで全国に広く知られるようになりました。悲劇の2人の霊をなぐさめる比翼塚が、今も野里の慶雲寺にあります。. このお話は、今から470年以上も前のお話ですので、諸説あるのですが、そのうちの一つが、今からお伝えするお話になります。 時の執権に青山鉄山という者がいました。この青山鉄山という男が、小寺則職を殺してお城を乗っ取ろうとする悪い奴でした。 この青山鉄山の陰謀に気付いた忠臣 衣笠元信は、恋人のお菊という女性を、青山家に潜入させ、スパイ的役割を依頼します。 お菊は苦労して青山鉄山の陰謀の証拠をつかみ、小寺則職は命からがら難を逃れ、一時家島という島へ逃れます。 この間青山鉄山の一味は、一時的に姫路城の乗っ取りに成功しますが、小寺則職の命を奪えなかった原因が、お菊であるとバレてしまいます。 そこで青山鉄山は、小寺家に代々伝わる家宝の皿10枚のうち1枚を隠し、一枚紛失したのをお菊であるといいがかりをつけ、無実のお菊を殺してしまい、その亡骸を井戸へ投げ込みました。 その夜から、お菊が投げ込まれた井戸からは、「一枚、二枚. 」と数え続けるのだ。 いったいどこまで数えるのだと思えば、ちょうど18枚で数え止む。男は「お菊は9まーい、と相場が決まってる!どういうつもりだ!」となじった。するとお菊の幽霊は お 菊 井戸 「風邪引いたから、今日読んどいて明日休むんよ」. 」という声が聞こえてくる。9枚まで数えられると呪い殺されると聞いていたので、男達は怯えるがどうも様子がおかしい。その後「10まーい、11まーい. また、尼崎市大物(だいもつ)の深正院(じんしょういん)にも、お菊が投げ込まれたとされる井戸の跡がある。 尼崎のお菊伝説は、時代を元禄の頃(17世紀末)とし、藩主青山氏の悪家老と、それに恋慕される侍女お菊が主人公となっている。.

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北川 理恵 -

-> 2020 年 3 月 21 日
-> いつも に も 増し て

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